2023年3月上旬、小春日和が続く日々。
電車に揺られて約40分、「桜田門駅」に到着。
そこから約10分掛けて歩くと・・・。

江戸城に着きました!
目の前に写っている場所は、駅名の由来になっている桜田門です。
簡単な歴史解説
中世(かつての江戸)
この時期までは、西に平川・東に神田山の川と山に挟まれた地域を「江戸」と呼んでいました。
そして、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、江戸重継という人物がこの地域に
居館を建て、周辺地域を支配下に置きました。
(この居館は、現在の位置もしくは水道橋付近にあったとされています。)
室町時代~戦国時代(築城と支配者の移り変わり)
15世紀に起きた関東の騒乱で江戸氏が没落すると、代わりに扇谷上杉氏が一帯を支配します。
1457年、当時の当主であった上杉持朝が家臣である太田道灌に命じて現在の位置に築城しました。
その後、太田道灌が暗殺されると上杉朝良が支配しますが、
1524年に北条氏が扇谷上杉氏をうち破って北条氏綱が支配することになります。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐によって北条氏は滅亡すると、
代わりに徳川家康が支配するようになりました。
なお、徳川家康が入城した際、江戸城はかなり荒れ果てており、
さらに低地であったため海水が入り込む地域となっていました。
江戸時代(徳川政権の本拠と改築)
1603年に徳川家康が江戸幕府を開いたことで、政治の中枢を担うようになります。
また、1606年から天下普請を通じて何度も増築や改築が行われました。
1607年に初めて天守が築かれ、1638年に完成するまで何度も改築が行われました。
また、本丸や二ノ丸といった天守以外の増築や改築も行われ、
1660年に神田川御茶ノ水の拡幅工事を最後に天下普請が終わりました。
なお、完成した天守は1657年に発生した明暦の大火によって失われます。
それ以降は築城されませんでしたが、200年以上にわたり
江戸幕府の中枢として機能はしていました。
明治時代~現代まで
1868年に開戦した戊辰戦争の初戦にあたる鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗北すると、
同年3月15日に新政府軍は江戸総攻撃を画策します。
その後、旧幕府の代表として勝海舟が、新政府の代表として西郷隆盛が会談を行ったことで
江戸城の無血開城が決定し、江戸総攻撃はなくなりました。
明け渡された江戸城は、東京城(とうけいじょう)という名前に改名され
1872年に幕府の象徴となる建物は全て破壊され、
1888年には明治宮殿が完成し宮城(きゅうじょう)と呼ばれるようになりました。
その後、関東大震災や東京大空襲で多くの建物が失われますが、
1948年に皇居として名称が変わり、1968年には新宮殿が建てられております。
1967年には大手門が復元され、現在は一部を除いて一般公開されています。
他の写真

桜田門を通り抜けて少し歩くと「正門石橋」が見えてきました。
この石橋は皇居に繋がっており、一般の人は通行できません。

さらに進むと「桔梗門」に来ました。右に建っている建物は「巽櫓(たつみやぐら)」です。
今回は、この門から「三ノ丸」へ行きました。

「三ノ丸」にある「百人番所」と呼ばれる建物です。
その名前の通り、4組の総勢100人の鉄砲組が昼夜交代で勤務していました。

「二ノ丸」に着きました。現在は庭園となっています。
本来なら花などが咲いてますが、3月上旬というのもあってかまだ咲いてませんでした。

「本丸」に着きました。現在は、広場となっています。
ここには、歴代の将軍が住んでいた館があり、大奥も存在していました。

「本丸跡」の広場の近くに「天守台」があります。
写真では分かりにくいですが、かなり大きかったです。

「本丸」から約20分かけて歩いて「大手門」に来ました。
こちらも復元ではありますが、名前に恥じない立派な門でした。
スタンプ設置場所と御城印販売場所
スタンプ設置場所:1.楠公休憩場
2.和田倉休憩場 ※東京駅から最も近い場所となります。
3.北の丸休憩場
御城印販売場所:なし ※イベントがある時に販売される事があります。
アクセス
交通機関:東京駅から現地まで、「徒歩」で約10分
終わりに
あれから、約2年ほど経ちました。
今回は、近場だったのもありじっくり散策することができました。
ただ、さすが東京なので観光客も多かったので、ほとんど人が写ってしまいました。
その為、今回は写真を厳選して使っています。
また、「桔梗門」から「三ノ丸」の「百人番所」までにも他の建物がありましたが、
特に観光客が多かったので、今回は写真を載せるのを止めました。
どこかのタイミングで再度行こうと思います。
その時は、他の場所の写真も撮っておこうと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!
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