※富山城 の続きとなります。
「富山駅」から電車に揺られて約1時間、「砺波駅」に到着。
砺波駅で自転車を借りて約1時間掛けて走ると・・・。

増山城に着きました!
富山城と同様に桜が綺麗に咲いていました。
簡単な歴史解説
南北朝時代(築城と当時の名称)
築城された年は不明ですが、1362年に二宮円阿という人物が警固していたという
資料があることから、1362年以前に築城された可能性が高いということが分かりました。
当時は「和田城」と呼ばれており、1363年には桃井直常という南朝側の勢力が
守備していましたが、のちに北朝側(室町幕府軍)によって攻略されました。
戦国時代~江戸時代(支配者の移り変わりと廃城)
この頃には「増山城」と呼ばれており、神保氏の重要拠点でした。
1560年、神保長職は上杉謙信によって富山城を攻略された際に富山城を捨て、
1562年に降伏するまで増山城に立てこもって抵抗しました。
降伏後、神保氏の本拠地となりますが家中の反上杉派が一向一揆と同盟を組んで抵抗した為、
1576年に上杉謙信に攻略されてしまいます。
上杉謙信の死後、1581年に織田氏によって攻略され佐々成政が家臣である
佐々平左衛門や佐々勝之らを入城させ守っていました。
1585年に羽柴秀吉による越中侵攻により佐々成政は降伏し越中を追い出され
代わりに前田氏が支配するようになりました。
しばらくは利用されていましたが、1615年の一国一城令により廃城となりました。
現代まで
廃城後は、そのままの状態で放棄されていましたが1977年に発掘調査が行われました。
増山城を中心に城下町なども含めた発掘調査が1997年~2003年までに7回行われました。
そして、2009年には国の史跡に指定されました。
現在では、本丸跡や二の丸跡などの曲輪や空堀が残っており見学することができます。
他の写真

復元された「冠木門」をくぐると、このような登山道が続いています。
この登山道は「大堀切」の中にあり、そこを通って他の曲輪に行くことができます。

道中の別れ道には「又兵衛清水」と呼ばれる湧き水がありました。
この湧き水は、当時は飲料水として使われました。

案内板に沿って歩くと分かれ道があり「一ノ丸跡」にたどり着きました。
「一ノ丸跡」と書きましたが「本丸跡」ではないという、珍しい立ち位置の曲輪です。

そして、「一ノ丸跡」の反対側には「二ノ丸跡」がありました。
この「二ノ丸跡」こそ増山城の「本丸跡」になります。
なお、「鐘楼台跡」という少し高い場所があり、そこから「二ノ丸跡」を撮影しました。

堀切を挟んで「二ノ丸跡」の反対側には「安室屋敷」という屋敷があった場所がありました。
「安室(あぢち)」とは【家督を嫡子に譲って隠居した人の住居】という意味があります。
なお、この近くには「三ノ丸跡」もあり、重要な場所だったということが分かります。
スタンプ設置場所と御城印販売場所
スタンプ設置場所:砺波市埋蔵文化財センター ※受付にて押すことができます。
休館日は玄関前に設置されています。
御城印販売場所:砺波市埋蔵文化財センター ※受付にて購入出来ます。
アクセス
交通機関:1.東京駅から富山駅まで、「新幹線」で約2時間10分
2.富山駅から砺波駅まで、「電車」で約1時間
3.砺波駅から現地まで、「自転車」で約1時間
※「徒歩」の場合は、約2時間
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
富山城を先に行っていたのもあり、着いたのが14時くらいになってしまいました。
それもあり、思った以上に散策することができませんでした。
また、スタンプの設置場所がここではなく上記に記載した場所になっていたので
自転車での移動というのもあり、急いで写真撮影をしていました。
その為、「三ノ丸跡」などに行くことができませんでした。
あと、この後もどこかの城やDQウォークのお土産スポットに行っています。
ですので、少し長くなりますが、楽しんでいただけると嬉しいです^^
どこかのタイミングで再度行こうと思います。
その時は「三ノ丸跡」にも行こうと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!
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