丸岡城【名城:No.36】

中部地方

東尋坊 の続きとなります。
「東尋坊(バス停)」からバスに乗って約1時間、「丸岡城(バス停)」に到着。
そこから、約10分掛けて歩いていくと・・・。

丸岡城に着きました!
2月下旬だったのもあり、少し雪が残っていました。

簡単な歴史解説

戦国時代(築城と支配者の移り変わり)

1575年に織田氏が一向一揆を制圧した後、家臣の柴田勝家の甥にあたる
柴田勝豊が「豊原城」という城に入城し、1576年に築城しました。

1582年に発生した本能寺の変の後、清洲城にて清洲会議が始まります。
清洲会議を経て柴田勝豊は移封となり、代わりに安井家清が城主となりました。
その後、賤ヶ岳の戦いによって柴田氏が滅亡すると、越前国を丹羽長秀が治めるようになり、
丹羽家臣の青山宗勝が城主となりました。

1600年の関ヶ原の戦いで青山氏は西軍として戦ったため改易となり、
越前国を結城秀康が治めることになり、結城家臣の今村盛次が城主となりました。

江戸時代(改易と改築)

1612年に起きた越前騒動により今村盛次は失脚し、本田成重が福井藩の藩主となり入城しました。
1624年、福井藩が減封した関係により丸岡藩として独立します。
1695年、お家騒動が起きたことで本田氏は改易となり、糸魚川藩だった有馬氏が
代わって入城します。以後、明治維新まで有馬氏が治めるようになります。

(なお、1624年~1695年の間で、現在の城郭と天守ができました。)

明治時代~現代まで

1871年の廃藩置県と廃城令により、天守以外は全て解体・移築されました。
1901年に残された天守と城跡は公園となります。
1948年に起きた福井地震によって天守が倒壊したものの1950年には重要文化財となりました。
1955年には倒壊した材料の8割近くを再利用し修復され、
現在は城跡公園と共に観光名所となっています。

他の写真

「天守」の近くまで行って撮影しました。
サイズは小さいものの、現存天守というのもあり威厳がありました。

「天守」に行くまでの道のりにあった「本丸跡」です。(「天守」のある場所も「本丸跡」です。)
現在は、管理事務所があり、目の前には雪が積もっていました。

裏口から「天守」を撮影しました。なお、私が立っている部分は城跡公園になるまでは水堀でした。
その為、「搦手」のような裏口ルートはありませんでした。

「二の丸跡」です。現在は、「一筆啓上茶屋」というお土産屋さんが建っています。
あと、バス停があるので、ここで降りて丸岡城まで行くことができます。

「一筆啓上茶屋」の近くにある庭園です。冬でも趣のある場所でした。

スタンプ設置場所と御城印販売場所

スタンプ設置場所:霞ヶ城(丸岡城)管理事務所 ※事務所にあるので、入城料は不要です。
御城印販売場所:霞ヶ城(丸岡城)管理事務所 
※券売所にて購入できます。

アクセス

交通機関:1.東京駅から芦原温泉駅まで、「新幹線」で約3時間
     2.芦原温泉駅から丸岡城(バス停)まで、「バス」で約20分
     3.丸岡城(バス停)から現地まで、「徒歩」で約10分

終わりに

あれから、約3年ほど経ちました。
丸岡城周辺には高い建物があまり無かったので、バスの窓からハッキリ見えていたのを覚えています。

あと、ここでは記載していませんでしたが、本田成重の父にあたる本田重次が妻に宛てた
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という日本一短い手紙を書いています。
その為、城の近くには「一筆啓上 日本一短い手紙の館」が建っています。
当時は行く時間が無くて行っていませんでしたが、今度旅行するときは是非行こうと思います。

・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!

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